三浦半島百貨店 三浦半島百貨店

カート カート

現在カート内に商品はございません。

プロセーラー 伊藝徳雄さん

海とヨットは人生そのもの。
プロセーラー歴20年、今も現役で活躍する葉山在住の
伊藝徳雄さん

プロセーラーとして国内外のさまざまなレースに参戦し、セーリングチームのコンサルティングやセーリングボランティア、セーリングアパレルメーカーアンバサダーとしても活動する「IGEI Yacht Service」代表取締役の伊藝徳雄さん。海と共に生き、時に生かされ、葉山に移住後は一層自然の恩恵を感じながら暮らすそのライフストーリーとは。

伊藝さんは生まれも育ちも川崎ですが、両親が沖縄出身で小さい頃から海に慣れ親しんだ生活を送っていました。そんな環境から自然と海に惹かれ、マリンスポーツの学校へ通うことになります。当初は全く扱うことができず釈然としていなかったヨットですが、「海外でもどこでも自由に遠いところに行ける」イメージにロマンを感じ、卒業後は葉山でヨット関連の仕事をしながらこつこつと経験を積んでいました。そして21歳で初めて外洋レースに参加し、ますますヨットにのめり込むようになったそうです。

海外に長期滞在中、「海」と「ヨット」が自分の一部に

予定していた海外遠征に参加できなくなって落ち込んでいた時に、シーボニアマリーナからニュージーランドへの航海へ 声をかけてもらった伊藝さん。これが人生のターニングポイントとなりました。
「同世代のニュージーランドのセーラー2名と日本人キャプテンの4名で出発。約1ヵ月半の航海を経てニュージーランドに到着し、ヨットクラブで知り合った現地のセーラーにビザが切れるまで居候させてもらいました。滞在していた1月~3月は気候もよく、セーリングには最適でしたね」と当時を振り返ります。
毎日ヨットクラブに通っては多くのセーラーたちと交流し、空いた時間には仕事を手伝い夜は酒を酌み交わす。競技でも遊びでも、ヨットに乗る回数は格段に増えていきました。そしてヨットが生活の一部となり、家にいても波の音が聞こえるくらい海と近い場所で過ごしたこのクラブライフが、伊藝さんにとって後の人生観に大きな影響を与えることになるのです。

巡ってきた転機、日本代表として
「アメリカズカップニッポンチャレンジ2000」に参戦

帰国後、紹介してもらったヨット関連の勤務先がある油壺で暮らし、再びセーラーとしての技を磨いた伊藝さん。海外遠征を行う有力チームに加わり、プロの方々と仕事をする機会も増え、伊藝さんなりに自分の未来像が見えてきた頃、ついに狭き門で有名な2000年のアメリカズカップの日本代表チーム日本チャレンジのセレクションに合格。世界最高峰のレースへの切符を掴んだ瞬間でした。
アメリカズカップチャレンジのために再びニュージーランドを訪れた伊藝さんは、かつて居候させてもらったセーラーをチームヴィレッジに招待します。「恩返しができたと同時に、ようやくここまでたどり着いた自分を誇らしく感じました」と語るその表情にはプロセーラーとしての矜持と、どこまでも深い海への愛着が滲みます。
現在、ヨットサービスの仕事をしながら年間平均200日ほど国内外に遠征している伊藝さん。「ずっと現役で海に出続けたい」。その思いを貫き、プロセーラーとして約20年活躍してきた有言実行の人。好きなことをやり続けるのは一見すると容易ですが実は難しく、自然体でありながら確固たる自分軸を持ち続けた結果、理想とするヨットライフに近づいたと感じているそうです。

若手選手を育成し、ヨットを通して人生に役立つ学びを後世へ

日本ヨットマッチレース協会の会長でもある伊藝さんは、若い世代に挑戦するきっかけを提供し、ヨット経験者を増やすことを目的に10年前からユース世代(U25)にレース出場の機会を創出しています。「一人でも多くの若手がヨットに興味や情熱を持ってほしいですね。そして、刺激を与え合う関係を築き、長く活躍できる若い選手を育成したいです」

SeamanShip Club 発起人の宍戸さんと。 年齢性別を問わず海の体験・セーリング体験を気軽に体験出来ます。

また、海での経験を教育やビジネスにも生かして欲しいと考え、禅とマインドフルネスの国際フォーラム「ZEN2.0」を運営する宍戸幹央氏と共に「シーマンシップ クラブ」を設立。企業研修から子供向けのヨット体験まで、幅広く活動を展開しています。
「海の上では仲間の命を守り抜くことが優先され、一つの判断ミスが命に関わることも少なくありません。いざという時、冷静に危機回避できる判断力を育み、日常のありがたさや生活のマナーなど、人生のあらゆる場面で応用できる学びを『シーマンシップ クラブ』を通して発信していきたい」と語ります。

目覚ましは波音。食材にも恵まれた三浦半島は暮らしの楽園

「波の音で目を覚まし、いつでも好きな時に海に行ける。仕事場にも近く、遠征に行く際の交通の便もいい。仕事と遊びの垣根がなく、今『ヨット」と一体のライフスタイルを叶えることができました。オーバーラップするのはニュージーランドでの暮らし。あの時のように『海が暮らしの一部」となった生活を送れる葉山は理想の場所」だと言います。三浦半島は古くからサーフィンやウインドサーフィン、最近ではサーフボードの上に立ってパドルを漕ぐSUPなど、マリンカルチャーの発信地として注目を集めてきました。実は明治時代に日本で初めてヨットがセーリングした場所が葉山で、鐙摺港には「日本ヨット発祥の地」の石碑も建っています。
実際に暮らしてみると、海以外のさまざまな魅力にも気づいたと伊藝さんは語ります。「外せない要素は、三浦半島の『食』。採れたての野菜や魚など新鮮な食材が豊富にあり、それらが簡単に手に入ることに驚きました。今では無農薬野菜を作っている友人に恵まれ、行きつけの直売所もあるんですよ。オフの日には佐島までふらっと魚を買いに行きますし、葉山にほど近い佐島では漁港だけでなく国道沿いに点在する鮮魚直売所も重宝しています」 また、「生産者だけでなく消費者も『食』へのこだわりが強く、普通に生活している中で自然と情報が耳に入ってくる」とも。
伊藝さんは、三浦半島の食を求めて都会から移住してくる子育て世代のファミリーが多くなったと感じています。豊かな自然やゆったりとした時間の流れはもちろん、体が喜ぶ食材が豊富なことからも、三浦半島は子育てにも適していると伊藝さんは言います。

移住して分かった、三浦半島の人々が持つ温かさ

そしてもう一つ、伊藝さんが三浦半島に暮らしてみて感じた魅力が、人々の温かさ。葉山に移住した伊藝さんにとって、子どもを通して知り合った同世代のパパ友、さまざまな職業や立場の人が集う葉山商工会青年部の仲間など、気がつけば周りは新しい友人で溢れています。しかもみんな、仕事を抜きにしてプライベートで深くつき合える人達ばかり。
「大人になってから、仕事以外で新しい交友関係を築くことができるなんて」と感慨深そうに話す伊藝さんにとって、「地元の人や移住してくる人にとっても、三浦半島はすべてを受け入れてくれる寛容な土地」。住む人の気風はその土地の風土に育まれるものだと改めて実感したと言います。

取材中、伊藝さんの人柄に引き込まれてしまい、このまま取材先の葉山公園で綺麗な夕陽を見ながら一杯ご一緒したいと思った一同でした。