房竹丸 宮川聡さん
三浦半島の魚を届けるために。
脱サラ漁師が取り組む「新しい漁業」
横須賀市の南西、相模湾に面した豊かな漁場にある長井港。晴れた日には相模湾の向こうに富士山を眺望できる、漁師町です。
そんな漁港の船着き場に佇む「房竹丸(ふさたけまる)」の直売所では、アジやタチウオの干物、イカの沖漬け、干し昆布、地タコの燻製やコンフィ……などなど、季節ごとに新鮮な魚介類の食品がずらり。
この直売所を営む宮川さんは、漁で獲った魚の販売・加工、キッチンカーの出店、レストランの経営など、多角的に活躍している、従来の型にはまらない漁師さんです。
今回はそんな新しい漁師のスタイルに取り組む宮川さんから、現在の取り組みや、今後の目指すべき漁業のありかたについてお話を聞きました。
偶然から始まる漁業の仕事
「房竹丸」の屋号は、漁師をしていた父方の祖父・房吉(ふさきち)さんの「房」、母方の祖父・竹三郎さんの「竹」からとって付けたそう。宮川さんの地元は三浦半島最南端の城ヶ島。昔から漁業の盛んな地域で、今でも多くの漁船が浮かんでいます。
「子供の頃から釣りや素潜りをして遊んでいましたね。好きとか嫌いとか、そういうことも思わないくらい身近に海がありましたよね」
こうした幼少期の体験がありつつも、自身が漁師になるなんて考えたこともなかったという宮川さん。地元を離れ、県外で就職することになりますが、それから十年ほど経ち、また三浦に戻ることになり、地元で仕事を探すことに。
「仕事を探していると、偶然、市場のアルバイトに空きがあり、そこで水揚げの仕事などを手伝っていたら、漁協の知り合いから、定置網の空きがあると声をかけてもらったんですよ」
漁業の難しさから生まれた新たなビジネス
そんな偶然と奥さんの後押しもあり、漁協の資格を得るべく定置網船で四年の修行をしたといいます。その後、独立し、刺し網や養殖などを駆使して、相模湾の海の幸を市場に卸しています。ところが、そんな漁業にも難しさ感じているそうです。
「どうしても、天候により魚が獲れなかったり、逆に魚がたくさん獲れ過ぎても価格が安くなったりと、安定した収入を得ることが難しかったんですね。」
そこで、少しでも収入を安定させようとして始めたのが、食品加工と直売所での販売でした。自宅に加工場を建て、干物や燻製などを作り冷凍保存。それをそのまま直売所で販売することで、漁業とは別の収入をつくることができました。
こだわりは、必ず魚は水揚げされた当日に捌いて、干物にし、冷凍すること。それにより鮮度が保たれ、冷凍の回数を1度に抑えることで旨味の詰まった干物ができるといいます。
房竹丸の味を運ぶキッチンカー
それから販路を拡大するために実行したことは、地域のイベントで干物を販売することでした。いろいろなイベントに参加することで、房竹丸の名前を覚えてもらいました。現在では、三浦半島のいくつかの産直品売り場やスーパーなどにも卸しています。
さらに、このイベント出展で活躍したのがキッチンカーの存在でした。火を使って調理する干物は夏場に売れなくなります。そこでキッチンカーを使い、干物を使ったパスタも一緒に提供することで、飲食販売を通して商品を売ることが可能になったそうです。
「地場野菜やふぐを使ったパスタも作っています。料理として提供すれば食べてくれる層も広がるし、うちの食品も買ってもらいやすくなりました」
地物にこだわるレストラン
イベント出展の他に、現在では大きな柱となるのが「漁師レストラン・アンシャンテ」の運営です。横須賀市・野比にあるNTT横須賀研究開発センタ内の社員レストランとして、2019年に開業しました。
「NTTがレストラン運営をやってくれる地場業者を探している、という話がたまたまあり、やることになりました。NTTの研究者は東京、千葉、埼玉などから来ている方が結構いて、横須賀で捕れる食材を知らない方も多いです。だからマンボウとかマンタとか、地元ならではの食材も提供するようにしています。マンボウは白身なので唐揚げとか、刺身を肝醤油で食べると美味しいんですよ」
子どもたちに命を食べるということを感じてもらいたい
その他にも宮川さんは小中学校の子どもたちに対してタコを使った食育活動などもおこなっています。
始めるきっかけになったのは、ある子供が「鮭は切り身で泳いでいると思っていた」という話を聞いたこと。
「子どもたちに生きているタコを締め、捌いて食べるまでを実践させるワークショップをおこなったり、中学校に行って漁業や漁師の話をしたりしています。忙しい仕事の合間をぬっての開催ですが、募集すると1日で予約が埋まってしまうほど、いっぱい来てくれる。それが嬉しいから続けているんです」
未来の漁業をみんなで盛り上げる
以前、牡蠣やアワビの養殖にもチャレンジしましたが、ある年、海水の温度が上がり全滅してしまった。その時、海でずっと同じモノを作り続ける難しさを感じたそうです。
そんな状況でも漁業で働く人が安定した生活を送るための手立てとして、三浦半島全体で発信するようなビジネスを展開するべきだと、と宮川さんは語ります。
「自分ひとりで何かをやろうとしても限界があるんです。これからはみんなでやって、みんなで仕事や地域を盛り上げていくことが大切だと思います」
三浦半島の漁業にはまだまだ多くの可能性があります。これからも三浦半島が食の宝庫であるために、強い実行力とアイデアで邁進する宮川さんのような新しい取り組みが鍵になるのではないでしょうか。